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【差別?】全然楽しくない海外生活のはなし【もちろん!】

 今回は「楽しくない海外生活の話」です。私は以前、それなりに長期?海外で生活していたことがあります。

今では「かなり大がかりな旅だったかも」なんて冗談で言ったりもしますが、、

どんな旅行?にも苦労やトラブルはつきものかもしれない、、、

海外生活で楽しくなかった思い、またその後見つけたことについても少し書いてみました。

 

 ※体験ベースの記事なので文中では海外=欧米国家の一つとなってます

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1.人種差別は普通にある

 

はい、これ普通にありました。

と言っても、いきなり「〇〇P!」とか暴言はかれるとかではなく、「無意識の人種差別(マイクロアグレッション)」が9割方でしたけど。 

 

マイクロアグレッションとは

意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと

出典:マイクロアグレッション - Wikipedia

 

近年流行りの、炎上して言い訳されてる「そんなつもりなかった」系差別ですね、下に例を一部挙げます。

 

・アジア人てみんな同じ顔だよね!と嬉しそうに言われる

・この人、アジア人あんまり好きじゃなんだろーなと感じる人々に出会う

・メディア、広告、エンタメ内とかでアジア人やその文化が茶化されてる

・授業中、東アジア地域の人間の特徴について、教師が微妙な言及をする(2020年代だったらその場で問題になってるんじゃない??)

・文化について理不尽なことを言われる

 

なんか悪びれてないので、もうナチュラルに見下してるのかな、と。

これ、見るからな悪人でなくて、普通の人がさらりとやるから悩ましい。

 

またグレーゾーンなんて存在しない、ガチの人種差別にもあったことがあります。

 

とある状況で、とあることを拒否されたときに言われた言葉、

 

「まっさらな白人のみだから!」

 

・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・

 

・・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

 

 

あとアジア系だと言葉がわからないと思って、笑顔でフレンドリーを装いながら、侮辱的なことを言われたこともあります。

 

実は自分が人種差別をされたということを親しい人間にあまり言えませんでした。

特に家族とは極端に「差別の話題」を避けていました。

向こうの話も聞きたくないし、何よりも私の話をしたくない、、、

 

それは、

他の人間も一緒に否定されたことになるから

 

例えば、私が人種で否定されれば、もちろん同じアジア人種である私の家族も同じく否定されたということになる。

差別を共有することで、家族が間接的に否定されることを、当時の自分は望みませんでした。

 

 

2.マイノリティーの立ち位置は微妙だ

 

まだ自分というものができていない段階で異文化に浸かることになり、アイデンティティクライシスのようなものも経験することになりました。

 

生活していくなかで、次第にアジア(日本)人であることや自国の文化を恥ずかしく思うようになってきたんです。

今いる国は素晴らしく、それにくらべ自国は劣っているのではないかと、だんだん不安になってきていた。  

これに関してはまあ住んでた国が悪かったのかもしれないけど・・・・

 

正直に、「日本人に生まれなければよかった....運が悪かった」なんて強く感じるというとこもあったんです。

 

彼らが"スタンダード"であり、自分たちはどこまでいっても"二線級"でしかない、、、

 

なんというか、アジア人というマイノリティーであるせいで、自分は「好ましい・正しい」存在にはなりえないのかな、と....こんなことを漠然と感じるようになっていった、

でも当時はこんなはっきりとした言葉では考えていなかったけれども。

 

とにかく自分が感じたのが、

何か暗い大きなものにゆっくりと自分が飲み込まれるような感覚と無力感....

 

救いは、「外見の他人種コンプレックス」というか、

「アジア人の自分の顔が嫌、現地の他の人種みたいになりたいな」という願望は不思議とありませんでした。

なんだか完全にそこは"別物"という認識で。

 

 

3.それでも旅は終わらない

 

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そのうち海外生活も終わり、「普通の日本人」として自国に適応していく生活が始まりました(これにまったく苦労がなかったと言えばあれだけど・・)

 普通に生活していて「持って生まれた姿」で否定される心配もなくなり、「自分のアイデンティティに基づく不安を感じること」も終わりました。

 

当初は「自分が日本人であること」を再認識し、強く意識するようになりました。

 

向こうではそれをコンプレックスに思うこともあったんですが、、、

 

そこから逆転現象が起こり、日本における西洋 (白人) 文明偏重に勝手に憤りを感じ始めたからおもしろい...

 

向こうを (欧米)持ち上げてるから、こっちが下に見られるんだよ!」と、

 

もちろん日本にも民族主義や人種差別が存在することはわかってはいたんですが。

 

しばらくしてこれも収まり、自分の内面の旅は次の目的地に進むことになったんです。

 

※いや今でも節操ない欧米あげに関してはおかしいと思う部分が多いですよ? でもとりあえず冷静には見てます

 

 

4.Finding Freedom....

  

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それが過去になった時に考える、、、

 

私が海外生活で感じていた葛藤は、

「異文化」対「自国の文化」や「異人種」対「自分の人種」の対立ではなく、

 

「人種」・「国家」・「文化」(異国・自国両方含む)という果てしなく大きな存在と「小さな一人の人間である自分」の対立だったんだなと、今では思っています。

 

個人とシステムの対立、システムはなくてはならないものだけど、人間を多くの面で非人間化していく

出典:村上春樹氏:「1Q84」を語る 単独インタビュー 毎日新聞

 

私達を定義している国家、人種や宗教、文化などは「大きなシステム」と言えるんではないでしょうか?

そのシステムの内にいる人間もそれにより抑圧されているとも言えるし、その外にいる人たちを「非人間」として捉えることも簡単にできてしまう。

 

日本で進行する不寛容(特に近隣の国に対しての)、アメリカでアフリカ系やアジア系の人達に今もなお起こっていること、そして今中東で起きていること

それらは国家や文化が実際に対立しているともいえるけれど、それにより傷つくのは一人一人の小さな人間なんです。

 

「世界に一人しかいない個人」が「大きなシステム」に押しつぶされそうになった時、

一人一人がそれを許さずに立ち向かうことが必要です。

 

そのためには私たちが組み込まれているシステムから、もっと自由になることが一つの方法だと考えています。

 

でも国家や人種からいきなり解放されるわけでもない、前者は某EV車界の雄と地球外移住でもして初めて解き放たれるものなのかもね=

もう緩い審査なら志願してやろうかな~日本を支配する悪の組織にはほとほと疲れてきました,,,,直近でまた妄言と差別発言かましてたろ)

 

でも別に火星に行かなくとも、このままで「」はもっと自由になれるのではないでしょうか?

 

そのためには、

想像すること」そして「考えることを放棄しないこと」が必要だと思っています。

 

対立する異なったシステムの向こうにも私たちと同じ人間がいることを想像してみる、

自分たちを仕分け定義しているものが本当に正当なものなのかを疑ってみる、

人々が何かを信じ駆り立てられていた場合、その背後にあるもの、いったい誰が一番得をしているのかを考える、

 

自由を手に入れるためには、

今まで当たり前だったものを手放す痛みを感じること、そして傷ついても最後には自分で答えを出すということ、から避けては通れないのかもしれません。

 

 最後に、

苦悩や困難があっても手に入れた「心の自由」は、決して自分から奪われることはないものです。

 

自分自身が自由であり、それにより他の人間も自由にするとこができる心の境地、

 

自分が最終的にたどり着きたいのはそこなのかもしれません。

 

 

 自分がどこまで自由であるかというのは、いつも考えていなくてはならないことです

 出典:村上春樹「同上」

 

 

 最後に

 誤解のないように言うと、別に海外生活で常に差別されるとかではなく、9割は平穏無事に過ぎると思います。

普段このブログでは海外のものを明るい面で取り入れてるので、今回はその反対の部分に光を当ててみました。

当初の構想では、最後の結論?の部分は違っていて、「成人海外在住(経験)者による安易な比較文化論の垂れ流しにモノ申す!」みたいな内容だったんです。

でも去年から続く世界の様相、パレスチナイスラエルの件でこれを持ってくるのがベストかなと思いました(でも機会があったら書くかもね 震えて待て!!!)

最後に村上春樹さんの話、特にハルキストとかではないんですけど。

私は「ノルウェイの森」を偶然にも二十歳の時に読みました、発売されたのはもちろんそれ以前なんでしょうけど、ちょうどその年齢でふと手に取ったんですBOOKOFFで!)

感想は、「ちょうど二十歳でこれ読めて良かった...巡り合わせもあるものだな」、と。

十代以下の人がいたらノルウェイの森について言いたいことは、

「あの本は君が二十歳になった時にこそ読まれるべきだ、それ以前や、もちろんそれ以降よりも....」かな

(もちろん私個人の意見です!)

 

 

今回はあとがき長いので関連記事なし!